日本が変わったのか、自分が変わったのか

日本が変わったのか、自分が変わったのか




日本へ戻って約2週間、これまでの数年間はいつも2週間の短期滞在でオーストラリアに戻ることを前提としたものでしたので、いつも滞在は慌ただしいものでしかありませんでした。


今回、日本で本格的に拠点を移すことにしているので、初めて日本の文化や生活を肌で感じるということを経験しています。気がつくことは本当に多く、オーストラリアで暮らす前までは当たり前だと思っていたことが、今となってはもうついていくことができなかったり、受け入れることができなかったり、または私の振る舞いが日本社会に受け入れられないものであるかもしれないと不安になったり、そういったことを感じる2週間でした。


物理的に建物が変わっていたり、変わるものもあれば、昔のまま変わらないものもある。

生まれたばかりの赤ちゃんだったのが、走り回るくらいの年齢になっていたり、「変化」と「変わらないこと」の両方を人から、街から、建物から色々と感じることはとても新鮮なことでした。


変わって良かったと感じることもあれば、変わって残念だったこと、変わって欲しくなかったものもあれば、良い方向に変わったんだなと思うこともありました。周りの変化に気づく一方で、変わったのは自分の方なのかという疑問を持ち始めました。実は何も変わっていないのに、以前は気づかなかったことに私が気づくようになった、以前は興味のなかったことに私が興味を持ち始めた。


特に自分の中の変化は、メルボルンはイベントの多い街でしたので、何かイベントはないかな、何かどこかで楽しいことしていないかな、ということは毎日のように探し求めてしまうことです。

そうすると、東京では日にいくつものイベントがされており、全く飽きるということはなさそうに見えるのです。

これは日本が発展したのではないかもしれません。以前からあったのかもしれません。ただ私が知らなかっただけのように思います。


つまり、私が感じたことは、私が目を開いたのかということでした。

日本には素晴らしい人がいて、素晴らしい食を中心とした文化があり、新しいものを取り入れるオープンさもあれば、古き良きもあるのです。四季があり、それに合わせて食も服装もそれにあったものに柔軟に変化している。


それを昔の私は気づかなかった、知らなかったんだなぁということが私がメルボルン生活を経てわかったことでした。

私はこれからメルボルンの良さも日本で生活する上で色々思い出され、気づいていくことだと思います。

身近にあるものに気づかない、当たり前だから気づかない、失ってから気づく。

すべてがその通りだと思います。一度日本を離れた自分だからこそ、日本を外から見ることができ、もう一度日本に入って日本を感じることができる。そう思って感じる日本は思っていたより素晴らしい。


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日本よりメルボルンの方が便利だったこと
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