何も主張しないと何も始まらない街
ニューヨークへ来てちょうど1週間が経った。自分としては、まだ1週間しか経っていないのかという感覚なのだが、1日が1日が本当に密の濃いもので、時差ボケから解放されてからは毎日死んだように深い眠りにつくことができている。
さて、まだ1週間という短い時間でありながらも、ニューヨークに来て感じたことはたくさんある。これから3カ月の滞在中にモノの見方も変わるかもしれないが、現時点で思ったことを少し書きたいと思う。
まずこっちに来て感じたことは、何もアクションを起こさなければ、何も起こらない街。自己主張をしなければ、その人自身が存在しないも同然だということだ。
ニューヨークに来て初日に、携帯の手続きをするためにショップを訪れた時のこと。店内には店員が2名しかおらず、1人は別の客の接客をしていた。もう1人はMacの前に立ち、ずっと画面を見つめていたのだが、まず店に入っても誰も「いらっしゃいませ」とも言わないし、入ってきた客を見向きもしないのだ。
僕はたまたま気づいてないだけかと思い、店内をうろうろしながらも、お客さんが来ましたよ〜と自分の存在を少しでもアピールしようと店員の視線に入り込んで見たりするのだが、一向にこちらへ目線を配せない。そのときに、自分が一日中店内でこのままうろうろして回っていても、この店員たちは同じ態度なのかもしれないと感じた。
そこで、接客対応を終えた店員に話しかけてみることにした。最初は少し面倒臭そうな振る舞いをされるのであろうと想像していたのだが、いざ話しかけてみると、彼女は意外にも愛想の良い笑顔で、何が必要なのかを親身に聞いてくれた(ときおり鼻歌まざりで)。
その後も、同じような経験があり、店でのやり取りに限らず、道を歩いているときでも、地下鉄に乗っているときでも、こちらから何かアクションを起こすと、彼らは怪訝な表情を浮かべたり、面倒臭そうな顔をすることもなく、比較的愛想よく対応してくれるのだった。
そういった経験を踏まえ、そうか!この街では自分からアクションを起こさないと何も起こらないのだとようやく気付いた。僕はよくビジネスでの話では似たような話を聞いたことがあるのだが、日常生活でも同じなのである。
つい昨日も駅の階段を降りようとしていると、おばあちゃんが僕に声をかけてきた。何事かと思い、話を聞くと、あまり足が良くないらしく、荷物を下まで運んで欲しいとのことだった。日本なら誰かが声を掛けてくれるのを、誰かが助けてくれるのを待っているかもしれないが、こちらではそれは通用しない。助けて欲しいなら、助けてほしいとしっかり主張する。
僕はもちろん、その荷物を下まで運んであげて、偶然にもそこから先のホームまでのエレベーターがあったので、ボタンを押すと、「エレベーターは使わない。階段で下まで運んでくれ」と言うのだった。おいおい、こっちも次の予定の時間が差し迫っているのに。と内心では思いながらも、階段を使ってホームまで荷物を運び、おばあちゃんが手すりに体を預けながら、降りてくるのを見守って、すぐに電車に駆け込んだ。
そのようなできごとが重なり、こっちでは何も主張しないと何も始まらないということを身を持って知ることができた。だからこそ、自分が今何をしたいのか、相手に何をしてほしいのかを常に明確にしておかないと、想いは伝わらない。この作業は僕たち日本人にとっては、少し手間がかかり、苦手な部類でもあるのだ。行動を起こす前に、いろいろと吟味し、穴がないかを確認してから行動に移す日本人。もしくはその場の空気で察してほしいと思うからこそ、どちらかというと受け身になってしまいがちな国民性が、Yes/Noどちらかの選択肢をいざ選べと言われた時に、咄嗟に判断できないのである。
まあ、例えれば、本田圭佑選手が日頃から示している態度や考え方がそのまま当てはまるのではないか。
所属するミランでも、各国の代表レベルの選手が名を連ねる中、フリーキックの場面で彼は自分が蹴るとはっきり主張し、キッカーをしっかりと勝ち取る。日本人が堂々とピッチの中で主張する姿はとても勇ましく、無理やりにでもキッカーを勝ち取り、実際に得点をしたシーンは、今見ても胸が震える。
「てめえの人生はてめえで決めろ」そんな言葉が似合う国。一昔前だと、矢沢永吉の「成りあがり」に影響を受けたという人がたくさんいると聞くが、その時代ごとにそういったアイコンとなる人が出てきて、多大なる影響を与える。
僕たちはそんなロック的な要素はあまりないというか、似合わないのだが、この活動を通して、海外に出る日本人をこれからも増やしていきたいなと改めて思う、平日の朝。
ライター。宮城で生まれ育ち、大学から東京へ上京し、海外での滞在を経て、今現在は京都で事業を行なっています。「泊まる〜暮らす」の導線づくりをしています。
何も主張しないと何も始まらない街
ニューヨークへ来てちょうど1週間が経った。自分としては、まだ1週間しか経っていないのかという感覚なのだが、1日が1日が本当に密の濃いもので、時差ボケから解放されてからは毎...