応援しているつもりで無意識に人を傷つけているかもしれない発言
応援しているつもりで無意識に人を傷つけているかもしれない発言
よく「他人と自分をくらべるな」と言われています。「隣の芝生は青い」などの言葉もあるとおり、自分以外の人のものは良く(優れて)見えるものです。時には「自分が一番」かのように何についても誰についても不平・不満を言う人も存在しますが。
自分以外の人のものは良く(優れて)見えることは良いことだと思うのですが、だからといって自分を卑下する必要なないと思うのです。隣の芝生はより青く見えるかもしれない、でも自分の家の芝生も青いのです。
他人を評価することは素晴らしいことですが、自分のことも評価し、自信を持つことも大切だと思います。
今回の記事で言いたかったことは、他人を批判する考え方についてでした。例えば富士山に登ることが目標の人と高尾山に登ることが目標の人がいるとします。高尾山に登ることを目標にしていた人はそれまでに色々な努力をしてきていたとします。もしかしたら足に問題があって、高尾山に登るということは相当困難なことだったのかもしれません。それに対して、何度も高尾山に登っていて、次は富士山という人からしてみたら高尾山を目標としている人に対して「もっと上を目指したらいいのに」などという人もいるかもしれません。
人には他の人からは見えない苦労や悩みがあるものです。周りの人を心配させないように、また周りの人を気にする人ほどそういった苦労や悩みを見せないかもしれません。一見見えないからといって悩みも苦労もないわけではないのです。先ほどの富士山と高尾山の例で、高尾山に登ることを目標としていて努力している人にとって、応援しているつもりで「高尾山よりもっと高い山、富士山を目指しなよ」と言われたらどういう気持ちになるでしょうか。富士山を目標にしている人がエベレストに登りなれている人から、富士山なんてと言われたらどうでしょうか。
人には人のペースがあります。それを低い目標のように扱ったりするのは富士山の例です。自分が努力しているときに自分のその目標を低いように扱われたらどう思うでしょうか。
どんな思いで何に向かって努力しているのか、それは分からないのです。一見見えないからといって何もないわけではないし、見えるものが全てでもないのです。次から次へと高い目標を設定しないといけないわけでもないし、目標は高ければ高いほど良い、そうでなきといけないというわけでもありません。
ゆっくりでもいいから、進めば良いという意見もありますが、私なら、ゆっくりでも速くでも進んでいて、それに疲れたり辛いなら、なんならゆっくりどころか休んで停止したっていいと思っています。
頑張り屋さんな日本人の私たち、無理をしないで、無理をして身体を壊さないでいきたいですね!
応援しているつもりで無意識に人を傷つけているかもしれない発言
応援しているつもりで無意識に人を傷つけているかもしれない発言 よく「他人と自分をくらべるな」と言われています。「隣の芝生は青い」などの言葉もあるとおり、自分以外の人の...