目上の人を敬う文化
目上の人を敬う文化…がここオーストラリアには…「ない」。ようなのです。
オーストラリア人の友人たちと話していた時に何度かこういった質問を受けました。
「アジアには年長者を敬う文化があるんだってね!」
この質問は日本で生まれ育った私にはあまりにも当たり前のことすぎて一瞬意味がわからないほどでした。
つまり、オーストラリアでは基本的に「年長者を敬う」ということが当たり前のことではないようなのだと私は理解しました。
オーストラリアでは、年をとったら「衰えている」というような印象を持っているようです。
「Older」と言いますし、直訳したらより古いもの、という感じなのでしょうか。
10代の子達は日本でもオーストラリアでも怖いもの知らずというか、自分たちが世界の中心だと思っているのかそういった面がありますが、オーストラリアではその10代を経て20代、軌道に乗ってきた30代、40代とこの辺りの世代の人が自分たちが「最高」だと思っているような感じがあるようなのです。
もちろんこれは完全に人によるので、オーストラリアでも年長者を敬う人たちももちろんいますし、日本でも年長者を敬わない人ももちろんいると思います。
これは私なりの見解なのですが、日本と比べるとオーストラリアの男女は男性らしくあること、女性は女性らしくあることを日本の何十倍も多く求められているように感じます。例えば、男性は腕やら胸やらががっしりとしていないと、態度も服装も男性らしく、という感じのようで、ジムで体を鍛えるということがメルボルンではかなり浸透しているようです。女性も女性らしい体、胸やお尻がしっかりあり、髪も日本のボブやショートカットのような長さの人はかなり少ないのです。男女ともに10代の頃は特に周りからの自分の外見に対するプレッシャーがかなりあったと言います。
そんな感じだからか、男性は男性として現役であることなどでしょうか、女性はいわゆる閉経後でしょうか。
それくらいの年齢になると、男性としてなのか、女性としてなのか、「年をとった人、Older」という認識になるのかなと思います。
私の友人のコロンビア人が良いことを言いました。
誕生日で一つOlderになったよ、と言ったら「Wiserになったのだ」と、また一つ年をとったのではなく、また一つ賢くなったのだと、言うのです。
今の自分と昔の自分、昔の方がお肌がキレイだったりはしたと思いますが、今と昔とどちらの自分が好きかと言ったら私は今の自分の方が好きです。いろいろな努力や経験をして、人に優しくもなり厳しくなることも学び、楽しむことも楽しみ方もわかり、こういう感覚は年長者の方も同じなのではないでしょうか。
今の私より20年後や30年後の自分の方がより人間的に優れた人になっているのではないかなと思うのです。
だから年長者は「年をとった人、より古い人」という新しい古いという観念で判断されるオーストラリアの若者には少々がっかりします。表面しか見ていない、浅はかな考え方ではないかと思います。
こういう話を聞くたびに、私は日本の文化を誇りに思います。