人生の経験として
人生の経験として
先日、ベルリンシンドロームという映画を見てきました。
その映画の中で、主人公のオーストラリア人女性が旅行先のベルリンでベルリンに来た理由を聞かれました。
海外にいる人の多くが、なぜ母国を出たのか、なぜその国なのか、そういったことを聞かれた経験があると思います。
映画の中で、その女性の言葉で考えることがありました。
「ライフ エクスペリエンス」
人生の経験のためというのが彼女の旅行の理由でした。彼女の周りでライフエクスペリエンスの話をよくしているから私も何か、というのがきっかけだったようです。オーストラリアの人は、概して色々な国を旅行している人や、海外で生活していたことがある人が多いように感じます。
人生の経験として
私がオーストラリアに来た時は、語学と日本では学ぶことのできない自然療法というエリアを学ぶこと、そういった食文化のある街でそういう食生活に触れることでした。結果、語学は向上し、自然療法を学び、こちらの自然や環境を大切にする(というか自然や環境の力を生かして、その力をかりながら共に生きていくという感じに近い)というメルボルン文化に触れることができました。しかし、振り返って何が得られたのか、何が良かったか、何をオススメしたいか、そういったことを考えるとその答えは語学や自然療法でもないと思います。
それを一言で表すのは難しいですが、日本では会えない一人一人に会えたということ。一人一人が異なるバックグラウンドを持ち、一人一人違っていて当たり前だということ、それでは自分という人間はどういうものなのか、自分らしさを見つけて自分らしく生きていればいいのだということ、自分らしくのびのびと生きられることがどれだけ貴重で心に健やかな平安をもたらしてくれるのかと驚いたものです。
私の周囲では、海外に来た目的が私と同じく、語学力や何か勉強したいもの、やりたいことがあったなど明確な理由があった人が多くいました。それが一部なのか、日本人の国民性なのかはわかりませんが、海外に来るという目的が明確である必要はないのだと今となっては思います。海外に行くということがまだ時間的に難しくもある日本では、目的もなしに時間や労力を費やすという風習がないのかもしれませんが、これは今後の日本で改善されれば良いところの一つではないかなと思います。
人生の経験として
それだけ?と思う人もいるかもしれませんが、人生で経験は非常に大きな影響を与えます。
良い経験だけが結果ではありませんし、辛い経験をしたこともいつか行ってよかったと思える日が来る、またはそういう日が来るように人は頑張れるのではないかと思います。何かをするときに常に何かプラスのものを得られる必要はない、何を得てもそれは経験となり、糧となり、優しい心や強い心、幅広い考え方ができるなどその人の一部になるのです。
「なぜ海外に行くのか」「経験として。」
私もいつかそう答える強さと自信を持てるように頑張ろうと思える映画のスタートでした。
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確かに、経験は良いものも悪いものも、のちになっては、良かったなと思える気がします。