ナイフが突き刺さって登場したハンバーガー

ナイフが突き刺さって登場したハンバーガー


「…。店員さんが怒っているのか…」と思いました、初めてこれに出会ったときは…。

(こちらの写真は私が撮ったものではありません。)


でも周りの人のハンバーガーにも串刺しに刺さっているので、店員さんが怒っているわけでもなく、そういう盛り付けの仕方なんだな、ということが分かりました。


どこのハンバーガーショップでもナイフが刺さっているわけではありません。

日本と同じように、竹串やステンレスの棒のようなものがささっていることが通常のようですが、それでもやはり、、たまにナイフが刺さって出てくるのです。


写真はまた私が撮ったものではないのですが、このナイフが刺さったハンバーガーを笑顔で提供された時の心境を伝えるべく写真を探してきました。


店員さんは怒っていません。盛り付けなのです。

上の二つの写真はお客さんが撮ったものですが、おそらくお店が撮影したであろう写真も見つけたので、どうぞ。



盛り付けです。


日本では箸を突き刺すのは誰かが亡くなった時のお供え用のご飯にすることだからしてはいけない、と聞いたことがあります(もし間違っていたらどうぞコメントください。。)。ナイフはどうなのか、とは考えたことはありませんでしたが、日本で育った私にとっては①ナイフが、②突き刺さって提供されるということは少しばかり驚きました。


ただ、ここはオーストラリアです。お供えものに箸を突き立てる習わしがあることは知る由もありません。

ナイフを突き刺してハンバーガーを提供するということに日本人の私がびっくりして取り上げることすら、知る由もありません。


「日本だったらこうする」「日本だったらそうしない」から始まり、

「私だったらこうするのに」「私だったらそうはしないのに」。

「普通ならそうするでしょう」「普通常識で考えたらそんなことしないでしょう」


どこかに思い当たるフレーズはありましたでしょうか。


日本にいた時、よく私が思っていたことの一つが、「普通そんなことしないでしょう」だと思います。

自分の中での「普通」という基準を他人にも当てはめてしまうということをよくしていました。


海外で生活していく中で気づいた非常に大事なことの一つが私にとってはこれなのです。

「他人に自分の基準を当てはめない」ということです。


見た目が違う、言葉が違う、ということは簡単に「文化が違う」人たちだと感じさせます。

ですから、文化の違う人たちに自分の基準なんて当てはまるわけもない、と自然に感じるのです。

だから何か起こったときも、「なんでこうする」「なんでこうしない」ではなく、「この人はこんな風に考えるのか」というように考えるようになりました。

私にとってこの変化は英語の習得より価値のある気づきだったと思っています。


日本は日本人の多い国ですから、見た目が似ている(髪の色、肌の色など)、言葉が同じ、こういった環境だと、「普通」という基準を誰にも適応してしまいそうになるかもしれません。

でも人はみな別の人間ですから… なかなか難しそうですが、日本にいてもなんとかこの「自分以外全員他人」、自分の基準で物事や人に対して判断をしないようにしたいと思います。



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