こんにちは、Maikoです。
本日、気温が10℃を切りました。。。とても寒い日が続くNYです。
今回は謝罪に対する日本人とニューヨーカーの意識についてシェアをさせていただきたいと思います。
NYに来て早4ヶ月。次第に友人もできたり人と人との繋がりを実感できる充実した日々を送っています。
私の友人には日本人を始め、南米、ヨーロッパ圏の方とも仲良くさせていただいています。
日本と違い、異なる文化を持った環境で育ったために意見は180℃違うこともしばしあります。
そんな会話の中で気になった謝罪に対する意識の違いについてお話しさせていただきます。
謝ることが解決方法と考える日本人と、尽きるまで話す外国人
みなさん自分が間違っていると思ったときはどうにような行動をとりますか?
また、カップルで喧嘩になったとき話しが四方八方にも飛んでしまう、解決方法が見つからない話し合いに直面したときどのように対応しますか??
私は、すぐに謝ります。。。
考え方は人それぞれですが、ときにそれが解決の近道となることがあると考えてます。
つい先日意見の違いで口論になりました。
それは友人が汚い言葉を私に対して投げかけたことが原因でした。
しかし、相手は謝るどころか私の悪いところを並べて言ってきたのです。
私はビッッッックリして言葉もでませんでした。
試行錯誤の上、私の悪いところと私が相手に対して不満に感じているところを考えた末、
謝罪の言葉とともに自分に意見を改めて伝えてみました。
すると、、、
チョコレートを渡され、その包装紙に記されたメッセージを教えてくれました。
それはイタリア語で『キス』という意味でした。
私の謝罪に対する返事の代わりにチョコレート。。。
日本ではめったにない経験でした。
そしてかっこいい。。。
外国の人はなかなか気が強いがためあまり謝らないし、意見をしっかり伝えるということを大切にしています。
謝ることが負けとは私は全く思っていないのですが、
日本人は自分の間違いを見直すことができる素敵な人種なのかなと少し誇りに感じました。
謝ったら信頼をなくす!?
先日私がインターンをしている日本人ジュエリーデザイナーの方とNYの会社で働くことについて話す機会がありました。
ニューヨーカーは謝ることに抵抗を感じるようです。
なぜなら『謝罪=ミスを認める』だからだそうです。
さらに、『ミスを認める=仕事ができない』と判断される傾向にあると伺いました。
日本の会社に勤めた経験のある私はボスから
「ミスを認めければ責任感も芽生えないし、改善ができない」と教えられてきたからこそ
180℃異なる考え方に驚きました。
NYは世界で最も厳しい社会がためにこのような考え方が生まれてしまったのかなと思うと、
正直で嘘をつくことに抵抗を感じる私にとってかなり厳しい世界です。。。
謝ってもいいけど過去はかえられない・・・
これも友人との口論の末の体験です。
私は仕事をしている友人とランチに行く約束をし、待っていました。
1:00PM 友人は仕事が忙しそう。。。いろんなクライアントに電話しまくっている。
2:00PM 私の声も聞こえないくらい忙しい。そっとしておこう。
3 :00PM やっとラップトップを閉じた。と、思ったら近くにいた人と話だした。
4:00PM お腹がすいて死にそう。我慢できず、電話をしている友人に向かって「もう行くよ」でも
「ちょっとまってて」と言われる。
4:30PM
私「お腹がすいたからもう行くね」
友人「あーわかった。どこに行くの?」
私「わからないけどとにかくお腹がすいたから」
そしてトイレにいったあと、滞在していたビルを出ようとしたら友人が私の後を追ってきていました。
すると、突然友人が言い放ちました。
「本当に失礼だね、彼女にByeも言えなかったじゃん」
そのあと、私が必死で意見を伝えても悪びれるそぶりもなく、むしろ私の態度が悪いと言い放ち続けました。
なので、
私か「ごめんね。私の態度が悪かったけど、本っ当にお腹がすいていたの!! なんでわかってくれないの?」
「大丈夫だよ。謝らなくても過去はかえられないから仕方ないよ。」
どこまで上から目線と思いましたが、
特に間違ったことは言っていないと認めた自分がいました。。。。
謝りたくないのではなく、意見があるだけ。
私は友人とのやりとりでずっと彼らは謝りたくないんだと思っていました。
しかし、一方で特に謝る必要が¥もないのかもしれないとも思うようになりました。
こちらも友人を通して体験した出来事を紹介します。
先日友人とはなした際に、どうして謝ろうとしないのか、
または、謝りたくないのか伺いました。
「まいこ、謝りたくないのではなくて、意見を伝えるんだよ。
話して話して最終的に相手を知ることができるんだから。」
当たり前のことかもしれないけれど、気づかないことが多い喧嘩や意見交換の状況ですが、
意見を伝える努力をすることは友人になった相手をしっかり知るためにとても大切だということを実感しました。
NYに来て孤独になったとき、辛いことがあったときに助けてくれるのは、“だれか”(友人)なのは事実です。
たとえ、人と口論になってもその傷を癒してくれるのは“だれか”なのだから
相手をしっかり知るということは自分のためでもあると考えるようになりました。
NYで友人を作ることは新たな考え方が芽生えることかもしれません。
それでは、また次回。
Maiko
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『謝罪』に対するニューヨーカーの意識
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