社会的に成功しないといけないという錯覚

メルボルンから車で1-2時間の郊外へ引っ越した友人から聞いたちょっと良い話


こんな絵の中のような風景の中で暮らす友人。

自宅の敷地内でたくさんの果物やハーブが自然になっているから、それを食べたり、料理に使ったりしているといううらやましい話を聞きました。


そういう自然な環境ですから、都会の暮らしより自然の中での暮らしを望む人が多く住んでいるそうです。

例えば、Naturopath(自然療法士)やマッサージ、ビューティーセラピストの方など。

また、そうでなくても電車で2時間かけたり、車で1時間かけて通勤している人もいるそう。


都会にいると、マーケットの幅や可能性が大きかったり、会社内での昇進など、より色々な可能性があるからな、郊外だとある程度のところで制限、上限があるだろうな、と感じた後に自分の中で疑問が生まれました。


なぜ上を目指したいんだろう、なぜもっと成功したいんだろう、なぜもっと可能性のあるところにいたいんだろう。


私の場合、管理栄養士やナチュロパスとして正しい新しい知識を持っていたいし、生きている間にできる限り多くの人の役に立っていたいという思いはあります。ただ私の場合、パブリックスピーチをしたり大多数の人に働きかけることより、できるだけ1対1で会話をして、アプローチしていくことの方が現時点では魅力を感じています。私の友人は1対1でのアプローチより、より多くの人の役に立つ公衆衛生の分野を詰めていった人もいます。

どちらの方がえらいとか、すごいとか、どちらが間違っているとか正しいとか、ではないと思っています。


できるだけ多くの財を築くこと、有名になること、より高い地位につくこと。


そういったことが人生のゴールや目的になっている人は少なくないのではないかと思います。

人生の目的とは、人によって違うわけで、多くの財を持たなくたってOk、有名でなくたってOk、より高い地位にいなくてもOkなのです。もしそれが本当に望みでないのであれば。


人生のほとんどを都会で暮らしている私は、時々、常に向上していないといけない、そうでないといけないという錯覚のようなものの中で生きています。私の場合、それは社会的、経済的なことが多いですが皆さんはいかがでしょうか。今回自然の中で暮らす友人の話から、彼らは自然や健康、自分のライフスタイルというところにおいて非常に明確な意思をもっていることを感じました。


私はまだ他人の目を気にして、社会の目の中で生きているような気がします。

何が自分をHappyにするのか。人生とは多くの財を築くこと、でもなく、社会的に成功する、でもないのではないでしょうか。いったい誰がそうだと決めたのでしょうか。

そもそも、人生がHappyであるという認識すらどうかと思います。

人生がそもそも幸せな楽しいものである、という期待をしているからそうでない時に自分の人生なんてどうだとかああだとか悩みが出るわけで、人生が楽しい幸せなものだなんて先入観です。

そうすればつらいことがあっても、まぁそういうもんか、そういう時期かとなりますし。

とはいっても生きている間ずっとつらい時期は過ごしてたくはありません。

だから気づかないといけないかもしれません、何が自分をHappyにするのかを。


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