オンライン化から見えるオーストラリアの意識の高さ

オンライン化から見えるオーストラリアの意識の高さ


違う国に住むということは否が応でも自分の国との違いに気づかざるを得ないことがあります。


最近感じた違いの一つがオンライン化なのですが、その理由が日本のものとは違うように感じています。


日本はオンライン化の進んだ国の一つだと思いますが、その発展の背景にあったものは「利便性の追求」という点が大きいのではないかと思います。

一方、オーストラリアでのオンライン化発展の背景に見えるものは「資源の節約」という点がまず先に目立つのです。


私は日本という国の東京出身です、という認識は標準的だと思います。東京という都道府県の○○区出身という認識。○○区の△△というエリア出身。自分のエリアの問題はもちろん気になります。


私が日本を離れて気づいたことの一つがこの認識です。

私は今でも日本というエリアの東京出身ではありますが、同時に地球(世界)というエリアの中のアジア出身、日本出身である70数億人の人間のうちの一人なのです。ただ出身地区が違うように、出身国が違うだけで同じ世界に住む人間なのです。


もし仮に日本のとある都道府県が極端に環境に良くない計画をすすめようとしていたら日本の他の都道府県の人はどう思うでしょうか。近くの都道府県を始め、関心を集めることだと思います。それは自分のところに影響があるかもしれないからかもしれません。日本は世界、地球という枠内にあります。もちろん日本の環境に対する動きを世界の他国が関心を持つということは不思議なことではありません。環境は日本だけの問題ではないからです。


例えば新しいカーテンやじゅうたんがあるとして、「はじっこの方、あんまり見えないから汚れてても良い」と思えるかといったらたいてい「できたら全部キレイに維持したい」と思うのではないでしょうか。汚れは最初は目立ち気になるもののだんだんと汚れに目が慣れて、汚れを汚れと認識しなくなり、さらに汚れがかさみ、あるレベルに着いた時に、「あぁ、これは汚い。替えるときが来た。」となるかもしれません。しかし地球はそうはいきません。


できる限りきれいに維持する、資源は限りがあるということ、資源を使うなという話ではなく、資源を使うということを意識するという点においては日本は少し気づきが必要な国であるかもしれないと感じます。


オーストラリアは日差しが強いということを耳にした人は多いかもしれません。正確なデータは把握しておりませんが、一概にオーストラリアの日差しは日本の5倍ほど強く(実際に夏は暑いというより、熱い、痛いと感じるほどです)、日焼け止めをこまめに塗る習慣をあってしても皮膚がん率や若くして皮膚がんで亡くなられる方も多く、その原因としてオゾン層の破壊、その原因としてダイオキシンなどの環境問題に目が行くことも自然な流れともいえます。より身近な問題なのだと感じます。



また例を挙げますが、もしとあるお金持ちの人が「お金はあるから、お金は払うよ」という姿勢でレストランで一人なのに全部おいしそうだからと5種類(5人分)オーダーし、結局全ての料理をほとんど残してしまったり、全く手をつけないものがあったりしたらどうでしょうか。結局、食べられず捨てられて、作ってくれたシェフの方の時間も気持ちも無駄。材料のお野菜なども無駄。苦労して育ててくれた農家の方の努力も無駄。もしお肉などが入っていればその動物たちの命も無駄。無駄に生まれてきて、食べられるためにエサを与えられ、囲われ、殺され、食べられることなく捨てられる。完全な無駄。


日本内で紙がない、という状況は想像しずらい状況だと思います。そんなものの豊かな日本では資源に限りがあるということは非常に感じにくい点ではあると思いますが、私たちの生活の中に「無駄に、過剰に、無意味に」意味のある資源を無駄にしていることはないでしょうか。

私はお肉もいただきますし、紙もプリントしたものを好みます。ただ最低限、その「資源や命、その資源のための誰かの苦労」、その資源がその後どうなってどう私たちや環境に影響するかを認識しているのとしていないのはまずは最初の第一歩だと思います。


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他人に敬意は払える日本人。周りの人の個性に対してはどうか。
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ここがすごいよ、日本人!
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