伝統食の存在
伝統食の存在
メルボルンにいると色々な国の料理がいただけます。
これは本当に人生を楽しくすることの一つになるほど感謝しています。
では日本ではどうかというと、日本にはメルボルンほど幅広く色々な国の料理をいただくことはできませんが(といっても各国の料理はいただくことができ、しかもおいしく最高だと思っています)、その深さにおいては他の国にない魅力があると思います。それはオーストラリアでは見つけることができないものの一つだと思います。
核家族化が進んできた中で、伝統の受け継ぎもすたれていったように思います。
おじいちゃん、おばあちゃん世代と離れて暮らすことで、それまで受け継がれてきた例えばお盆の時の過ごし方や野菜をアレンジした動物のモニュメント。。私もあまり詳細は覚えておりませんが、それでも祖父母と過ごしたことでそういうものがあるということを知ることができました。
これは確か、野菜を動物にみたてて、彼らがご先祖様を迎えに行く、とか確かそのような意味をもっていたと思います。これはしないといけないものでもなんでもありません。ただ、こういう風習があって、長い年月もの間、ずっと引き継がれて、テクノロジーが進んだ24時間明るい日本という国で今もなお、こういった文化的な習わしがあるということに私は大変な魅力を感じます。
少し早いと思いますが、7月には日本の伝統行事である七夕があります。
短冊に願いごとを書いたり、そうめんをいただくという風習は、今もなお薄れてはいないと思いますが、是非なぜそうめんをいただくのかということもそれまでにお伝えできたらと思います。お正月のおせち料理から始まり、日本の伝統は食を通しても受け継がれてきています。それが核家族化の進展とともに伝統が引き継がれにくくなっています。
核家族化、一人暮らし、シェアハウスという新しいカタチ、海外に来る人も増えている。
どれも大きなメリットのある生活スタイルだと私も思いますが、もちろんそれによって失われることもあるということです。私は海外に来て、家族と離れて生活していることに一寸の後悔もありませんが、祖父母から伝統を受け継いだ両親と離れることで、本来受け継ぐべき伝統をそこでストップしているということに残念な気持ちがあります。
6月は祝日もなく、特に伝統行事はなかったように思いますが、私が知らないだけで両親は何か伝えたいことがあるかもしれません。明日からいよいよ6月。伝統のある国日本で生まれた日本人として本来引き継ぐべき何かがまだまだたくさんあるはずです。どうぞ、6月は皆様がご両親や年配の方などと多く話す機会が持てますように。
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