ブラックミュージックをルーツにNYで活動するDJ/プロデューサー:Fourd Nkayインタビュー

ニューヨークを拠点にブラックミュージックの世界で活動する日本人は数少ない。自らがDJを行うイベントに参加しても、「現場によっては、日本人はおろかアジア人の姿を見ることはほとんどない」と彼は言う。体格の良い黒人が彼の周りを囲み、その中で彼らを最高に楽しませるために、最高のトラックを用意し、最高のプレイを披露するのだ。




Fourd Nkay HP


今回は、HIP-HOPやR&Bなどといったブラックミュージックに興味を持ち、日本での活動を経て、ニューヨークで活動するに至った経緯などについて、DJ/プロデューサーのFourd Nkayさんにインタビューさせていただきました。


ブラックミュージックの世界で生きる彼の目に映るニューヨークとは!?早速ご覧ください。


ー本日はよろしくお願いします。早速なのですが、HIP-HOPやR&Bといった音楽ジャンルで海外で活動されている日本人というのはあまり聞いたことないのですが、実際少ないのでしょうか?


Fourd Nkay:そうですね。アメリカの業界全体で他の人種と比較するとかなり少ないと思います。


ーやはり少ないのですね。ニューヨークで活動を始める前は、日本で何をやっていたのですか?


Fourd Nkay:僕はもともとラッパーをやっていました。音楽のジャンル自体は変わらず、いろいろなアーティストの楽曲にFeauturingという形で参加させてもらったりしながら、CDなども出していました。しかし、僕が活動をしていた時期ぐらいから、ちょうどCDからデジタル配信に比重が移行していった転換期で、徐々にCDや音楽自体が昔のようには売れなくなる時期にも差し掛かっていたんですよね。自分の音楽スタイルを変えずに日本で活動を続けても、正直難しいかなと感じたんです。


ーニューヨークに来たきっかけは当時の音楽業界の時代背景も重なってのことだと?


Fourd Nkay:それもありますね。もともとは2005年に観光ビザで3カ月ニューヨークにきたのが、アメリカで活動しようと思ったきっかけです。もし日本で自分のスタイルの音楽をやるのが難しいのなら音楽を完全にやめてしまう前に一度アメリカでやってみようと思ったのが大きかったです。


ー観光ビザで3カ月滞在した後、すぐにニューヨークに戻ってきたのですか?


Fourd Nkay:いえ、実際にニューヨークへ戻ってきたのは、3年後の2008年になります。ニューヨークで暮らすとなれば、それなりにお金もなければ生活を続けることは難しいですし、その間、専門学校に通いながら、英語の勉強もしていました。


ー2008年に再びニューヨークへ戻ってきたときも観光ビザで?


Fourd Nkay:学生ビザです。最初はこちらの語学学校に通っていました。語学学校もいろんなとこ行きましたよ。全部で5校くらいかな。


ー日本にいる間に英語の専門学校とかに通っていたのなら、再びニューヨークに戻ってきた時にはある程度英語は話せたんじゃないですか?


Fourd Nkay:いや、全然ですよ。学校に通っていたと言っても、僕も日本で活動を続けながら学校に行っていたので、頻度としては週に2、3回とかですかね。そのくらいの頻度で、1日2、3時間程度英語を学んだからって、実際に海外に来て使えるかというと、そんな甘いもんじゃないですよね。


ー現実はそう甘くないのですね。では、最初は語学学校に通いながら、音楽活動をしていたのですか?


Fourd Nkay:そうですね。こちらに来てからは、ラッパーではなく、トラックメーカーとしてとにかく曲を作りまくっていました。ただ、良い曲ができたとしても知ってもらわなきゃ意味がないので、現地でのコネクション作りとして、イベントやパーティーに参加して、その後、DJとしてプレイしながら、いろいろな人に出会いました。今現在は、DJとトラックメーカーの活動の割合でいうと、半々くらいですね。




ーニューヨークへ来て活動を始めて、それこそ刺激を受ける部分もあるでしょうし、いろいろ苦労や大変な思いをすることもあるでしょうが、この街の魅力とは一体何なのでしょうか?


Fourd Nkay:やはりメルティングポッド(人種のるつぼ)とよく言われるだけあって、本当にいろんな国籍、人種の人たちと出会うことができることですかね。そして、ここに住んでいる人たちはお互いの文化を尊重し合っています。また、世界の中心と言われるだけあって、ホームレスから超富裕層まで、あらゆる層の人たちが混在しながら共存しているんですよね。それこそ、社会の底辺からてっぺんまで見えるので、それを見て感じるだけでも、少し価値観や考え方が変わります。


ー反対にニューヨークで暮らす上で難しいと感じることは何ですか?


Fourd Nkay:やっぱり金銭面ですよね。とにかく物価が高い。家賃なんて僕がニューヨークへ初めて来たときと比べると、比べ物にならないくらい上がってますからね。とにかくお金がないと何も始まりませんよね。そして、ビジネスにしても何にしても超競争社会。僕は音楽活動がメインなので、音楽業界でたとえて話すと、"実力があるのは当たり前。良い曲が作れるのは当たり前"なんですよ。DJなんかでも、上手いのが当たり前ですから、あとは"人気があって人を連れて来れる"とか、”見た目がイケてる”とか、そういう他の価値をどれだけ作っていくか、要するに見せ方のブランディングだと思います。それこそ"If you can make it here,You can make it anywhere"というフレーズもあって、ニューヨークで成功できたら、全米、いや、全世界で成功できるという証にもなるわけですから。


ーその中で日本人で今までアメリカで成功した(音楽業界)と言える人って誰かいますか?


Fourd Nkay:そうですね。僕らのジャンルでいうと、dj hondaさんくらいじゃないですかね。それこそ、僕は結構影響を受けた方なのですが、hondaさんは90年代にアメリカを拠点にクラブDJ、音楽プロデューサーとして活躍して、「h」というロゴのファッションブランドも流行りましたよね。あとは今でいうと、EDMでスティーブ・アオキとか。まあ、彼はジャパニーズアメリカンなので、日本人ではないのですが。でも、本当に日本人がアメリカで成功するのは難しいです。


ーそれはなぜだと思いますか?


Fourd Nkay:やはり言葉の壁はありますよね。あとは、日本人って良い意味でも悪い意味でも繊細だと思うんですよね。DJなんかでいうと、日本人プレーヤーの方が綺麗にMIXができて、曲と曲も綺麗に繋げられるんですけど、僕らがメインにしている現場とかだと求められているものはそういう部分ではないんだなと思います。それこそ豪快さが不可欠で、客があまり受けていないと感じると、曲が流れている途中でもいきなり止めて、マイクを握ってMCを始めたり、彼らが今求めているものを提供するということに徹している感じがします。その豪快さを持って生まれている日本人はなかなかいないし、文化の違いにも起因する部分なので。逆に、繊細さが求められる業界では、日本人で世界的に活躍できている人が比較的多いんじゃないですかね。


ーなるほど。僕はサッカーを中高とやっていたのですが、サッカーの世界でも同じようなことを聞く気がします。技術で言ったら日本人は世界トップクラスだけど、世界で勝つために必要なのは繊細な技術ではなく、豪快さやずる賢さ、メンタルだと。


Fourd Nkay:そうですね、少し夢を壊すような言い方になってしまうかもしれませんが、ただ技術を極めれば成功するというわけでもないんですよね。


話は変わるのですが、8年前と今と比べて、ニューヨークの街で変わったなと感じることってありますか?


Fourd Nkay:だいぶ変わったと感じますよ。やはり、とにかく物価の上昇がすごくて、昔はブルックリンだったら、一人暮らしの部屋も借りれたんですが、今ではかなり難しいですよね。ブルックリンも今では一部お洒落なエリアができて、観光客に人気となっていますし、とにかく金持ちのための街になってきているような気がします。都市開発が進むにつれて、僕が来た当時のカオスな雰囲気も徐々に影を潜めて均一化しつつあるので、ブラックミュージックの世界で活動する者としては、う〜んという感じですね。


ーそうなんですね。逆にいうと、均一化されつつあるから、ニューヨークの街全体の治安は昔より良くなっていると感じますか?


Fourd Nkay:いや、一概にそうとは言えませんね。僕はもう8年住んでいるので、危ないと言われるエリアを知っていますし、心構えや振る舞い、態度なんかも熟知しているので、危険な目に遭う確率を極力減らすことはできるのですが、観光客の方はやっちゃいけいないことやその街での振る舞い、マナーなんかもわからない人が多いので、自分が住んでる街の感覚で歩いていると、痛い目に遭うこともあると思います。僕は今、ブルックリンの下の方、ちょうど安全なエリアと危ないエリアの境界線あたりに住んでいるんですが、近くのコンビニやスーパーに行くときでも絶対にサンダルは履きませんね。


ーえっ、なぜサンダルを履かないのですか?


Fourd Nkay:何かあったときに全力で逃げるためです笑


ーこわい。。どうしてそんな危ないエリアに住んでるんですか?


Fourd Nkay:一般的に危ないと呼ばれるエリアは家賃が比較的安いですし、その周辺全体がうるさかったりするので、ボリュームを大きくして音楽を流してもそんなに何も言われません。あとはみんな爆音で車から音楽を流しているので、どんな曲が好みなのかがわかったりしますね。


ートレンドを知れる環境でもあるのですね。実際に危険な目に遭ったことはあるんですか?


Fourd Nkay:いや、僕はありませんよ。ただ、近くの通りにギャングが銃で撃たれて献花されていたり、それこそ昔の話ですが、自宅の目の前で銃撃事件があったときもあります。僕はそのとき家にいたのですが、いきなり「パンパンパン」と発砲音がしたので、窓を開けて下を見てみると、血を流した人が倒れていました。それこそ昔はHIP-HOPのクラブイベントなんかもイケイケのイベントが多くて、盛り上がったイベントなんかだと、夜が深まるにつれて喧嘩を始める者が出てきて。あるイベントでは、帰宅しようかとクラブの外に出たら、人が死んでいたこともありました。危ないことが良いとは思いませんが、ハイクラスとゲットーのライフスタイルが混ざり合って共存しているのが、何よりもニューヨークの魅力だと感じている部分はあるので、今はやはりだんだんとそういったイベントも少なくなってきて、昔に比べたら割と落ち着いてますね


ーなんかもうドラマや映画の世界ですね。


Fourd Nkay:もちろん観光地と呼ばれるエリアはそんなことはないでしょうが、もし知りたいのであれば案内しましょうか?笑


ーまだ観光地も見切れてないので、いつかお願いします笑 8年間で今聞いたようなエピソードを含め、いろんな経験をされていると思いますが、実際に海外に一人で出てきて感じる”海外に出ることの意義”って何だと思いますか


Fourd Nkay:一人では何もできないということに気づかされることですね。日本だと、当たり前のように家族がいたり、友達がいたり、誰かしら助けてくれる人が近くにいるんですよね。よく自分は友達がいないという方もいるんですけど、海外に出ると、最初は本当に一人です。それこそ、当たり前のように自分ことを守ってくれる保険もなければ、家もない、言葉も通じない。日本にいるだけで当たり前に持っていたり、近くにあったものが何もなくなるんです。だからこそ、こっちで出会って、自分のことをた助けてくれる仲間には本当に感謝していますし、自分も同じように困っている人がいたら、助けてあげたいと思います。誰に対しても謙虚さと感謝の気持ちを常に持ち続けたいと思っています。それは、国籍や人種など関係なく。


ーそうですよね。生まれながらにして、僕たちは既に何かを持っているんですよね。自分がそう気付けたということは、他の日本人ももっと海外に出るべきだと思いますか?


Fourd Nkay:いや、別にそうは思っていません。海外に出るのは強制ではありませんし、結局は自分自身が思い立たなければ意味がないと思うんですよね。よく親に言われて留学したとか親戚の勧めで海外に来たという方もいるのですが、結局は自らが海外に行きたい、世界を見たいという何かしらの目的意識がなければ本当の意味でいろいろなことに気づくことができないのかなと思います。


ーだとすると、海外に行くタイミングというのも、特にこの時期・この年齢に行っておくべきというのはありませんか?


Fourd Nkay:もちろん、ネイティブの英語を身に付けたいのであれば、早ければ早いに越したことはありません。ただ、その他でいうと、自分が思い立った時がベストだと思います。だからこそ、今本当に海外に出てやりたいと思うのであれば、すぐに荷物をまとめてまずは行ってみればよいと思います。というか、本当に行きたいと思うのであれば、すでに行動しているでしょうね。


ーすでに行動している。そうかもしれませんね。最後にFourd Nkayさんのニューヨークでの活動の目標をお聞かせください。


Fourd Nkay:DJと音楽プロデューサーの活動を続けながら、ニューヨークで活動を続けられる限り、続けていきたいです。目標としては自分で曲を作り、権利も持ちDJとしてプロモーションする。音楽ビジネスの本来あるべき姿だと思います。また今は仲間と映像制作チームもやっていて、PVやCM動画の制作をしています。自分の活動の傍ら、これからニューヨークでアーティスト活動をしていきたいという方の少しでも力になれればと思っています。あとは自分も気がつくと、8年もニューヨークに住んでいるので、Sharelogのブログしかり、自分自身の経験や知識を伝えていく作業もしていきたいなと考えているところです。




ブラックミュージックという日本人にとってマイノリティの世界で活動を続けるFourd Nkayさんの体験談や経験談は、時に、ドラマや映画のようなエピソードも飛び出し、自分にとってはあまり馴染みのない世界の話を聞けたのは、とても面白かったです。


また、結局は、何をするにしても人から言われてアクションを起こすのではなく、自分で考え、自分でモノゴト決めて行動を起こすことが何より大事で、人から言われて取る行動というのは、ときに後悔を生じさせるという言葉が印象的でした。


Fourd Nkayさん、今回はありがとうございました!今後の活動もとても楽しみです。


なお、Fourd Nkayさんはこのシェアログでブロガーとしてニューヨークでの生活や暮らしに役立つ情報なども定期的に更新していただいているので、是非そちらもご覧ください。


Fourd Nkayさんの記事はコチラから。


そして、音楽活動を含めた体験もニューヨーク現地で提供されているので、ナイトクラブ案内やDJプレイ、ニューヨークでの映像制作に興味がある方はこちらも併せてご覧ください。


Fourd Nkayさんが提供する体験はコチラから。

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NY滞在歴たった2カ月の在住者が案内するニューヨークツアー
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9.11アメリカ同時多発テロから15年。今も色褪せないテロの記憶。
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出身/宮城県 在住地/京都府
ライター。宮城で生まれ育ち、大学から東京へ上京し、海外での滞在を経て、今現在は京都で事業を行なっています。「泊まる〜暮らす」の導線づくりをしています。
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